大阪駅で配布されていたポケット時刻表を覚えていらっしゃいますか?
横に長く、蛇腹に折っていた方も多いのではないでしょうか。
今回はそんな大阪駅のポケット時刻表のデザインを振り返りたいと思います。
はじめに、大阪駅のポケット時刻表といえば・・・下記のようなイメージはありませんか?
- 縦書きのページと横書きのページが混在している
- 表紙にJR宝塚線の欄が独立して書かれている
- 特急列車だけ独立したページがある
実は、縦書きのページ(正確には縦書きを採用した大阪発着の路線)と横書きのページ(横書きを採用した大阪発着の路線)を混在させていた時期があり、平成26年頃から全ページ(全路線)が横書きになりました。
さらに、表紙にJR宝塚線のページを持ってきている歴史は深く、昭和までさかのぼります。そして平成27年から表紙は表紙、路線は次ページ以降というデザインに切り替わっています。
最後に特急列車の掲載についてですが、平成19年までは大阪駅発着の特急の発車時刻はポケット時刻表に記載されておらず(和歌山駅、京都駅、尼崎駅などを除いてJR西日本アーバンネットワーク全体的にそういう傾向はありましたが・・・)比較的最近になって登場した仕様です。
さて、実際の時刻表を見ながら追って行きましょう
こちらは平成6年3月改正の大阪駅時刻表です。
大阪環状線だけが縦書きでそれ以外の路線は横書きです。
しかし半年後の平成6年9月改正では大阪環状線に加えてJR宝塚線も縦書きになりました。
(本数増加でスペース確保のためか、凡例に詳細を記載するようになったからか、背景は不明です)
時は流れ、平成26年3月改正の時刻表を見てみます。
表紙のJR宝塚線も横書きとなり、全ページが横書き表記になりました。以後、大阪駅のポケット時刻表は横書きで統一されることになりました。
手元にコレクションしていたものを古い順に並べてみました。
- 表紙に広告がある時代(昭和)
- 表紙の下半分の一部に時刻表を記載した(昭和後期~平成6年3月)
- 表紙の時刻表がページの半分以上を占めていた時代(平成6年9月~24年,期間としては最長?)
- 表紙のほぼ全面が時刻表だったとき(平成24年~26年の3年間,ある意味期間限定デザイン)
- 表紙を独立させページ数を増やした時代(平成27年~令和3年,期間としては2番目に長い!?)
ちなみに、JR宝塚線は昭和59年では未掲載で、昭和63年の時点では掲載されていました。
その後、平成26年10月改正までは大阪駅ポケット時刻表の表紙に君臨することになります。
先述の通り、JR大阪駅のポケット時刻表に特急列車の発車時刻が掲載され始めたのは平成19年が最初です。
しかしちょうどこの頃より夜行列車の減少や国鉄時代からの愛称の統合など、特急列車の歴史が変わり始めた時期でもありました。いくつか取り上げてみましょう。
平成19年8月修正の時刻表です
日本海は2往復、急行銀河、きたぐに、なは・あかつき、はやぶさ・富士がまだ健在で、ポケット時刻表にもしっかりと記載があります。
(日本海3号と銀河、なは・あかつきは翌年春の改正で廃止されました)
平成22年3月改正の時刻表です
485系での運転として最後に1往復残った雷鳥33号が記載されています。
日本海は既に1往復に減便されており、急行きたぐにはまだ残っています。
平成23年3月改正の時刻表です。
すべての雷鳥がサンダーバードとなり、さらに北近畿とタンゴエクスプローラー、文殊がこうのとりとなりました。
平成28年3月改正の時刻表です。
しなの9号の大阪乗り入れがなくなり、現在とかなり近い顔ぶれになった改正です。
平成31年3月改正の時刻表です。
表記方法が整理され、記号を中心とした記載になりました。
さて、いかがでしょうか。縦書き/横書きの視点、表紙デザインの視点、特急列車ページの視点からJR大阪駅ポケット時刻表を振り返ってみました。当時利用されていた方、当時の大阪駅を模型・ジオラマ等で再現されたい方、懐かしんで見ていただければ幸いです。ご覧いただきありがとうございました。