京都駅で配布されていたポケット時刻表を覚えていらっしゃいますか?
大阪駅ほどではありませんが比較的横に長く、蛇腹に折っていた方も多いのではないでしょうか。
JR京都駅のポケット時刻表はアーバンネットワーク内では珍しく、昭和の時代から配布廃止時点に至るまで一貫して特急列車の発車時刻も表示していた歴史があります(ただしサンダーバードは平成20年代中盤まで未記載)。今回はそんな京都駅のポケット時刻表を表紙デザインの観点から、ページ配置の視点から、発着する特急列車の歴史からそれぞれ振り返りたいと思います。
- 表紙デザインの変遷
- ページ配置の変化
- 発着する特急列車の変化
手元にコレクションしていたものを古い順に並べてみました。
- 赤色の表紙だった時代(昭和後期にアーバンネットワークでよく見られていた)
- 白い表紙だった時代(昭和後期~平成初期)
- 白い表紙の下段に広告を掲載していた時代(平成10年代)
- 京都支社デザインが採用されていた時代(平成20年代前後)
- アーバンネットワーク共通デザイン(平成26年~)
京都駅のポケット時刻表は、そこから延びる路線の発展に応じて約40年間でダイナミックに変化してきました。
見開き3面の時代
この頃は時刻欄が片面に集約されており、東海道本線下り1面、東海道本線上りと湖西線が同じ欄に1面、山陰本線と奈良線が残り1面を左右で分割して表示という構成でした。
見開き4面の時代
両面に時刻欄が配置されました。また、平日と土休日で欄が分かれました。湖西線方面が東海道本線上り欄から独立しました。しかし関空特急はるかと左右に分割する形で1面内で同居しています。なお、山陰線と奈良線は1面を左右で分割して表しています。
見開き5面の時代
奈良線の複線化工事の進展、みやこ路快速の新設などと関連し本数増加にともないさらに平日と土休日で欄を分けたうえで1面占拠するようになりました。ちなみに嵯峨野線は同ページ内の同居相手が独立したため路線単体で1面を占拠するようになりましたが、平成15年前後からは湖西線が平日と土休日で欄を分けて表示するようになったため丸ごと1面を湖西線に譲り、嵯峨野線は関空特急はるかと1面を共有するようになりました。この傾向はこのあと平成27年のポケット時刻表まで継続します。
昭和後期のポケット時刻表を見てみると、山陰線の欄に特急あさしお(赤網掛)と急行丹後(赤字)、急行白兎(14:38発)の表示が見られます。
また、同ページ隣の奈良線の欄には急行紀ノ川の記載があります。たった4年間、短命に終わった列車もポケット時刻表にはしっかり残っています。
びわこライナーが運転開始した1年後のポケット時刻表です。東海道本線のページに唯一掲載されている優等列車です(当時は特急扱いではありませんでしたが)。
山陰線の特急あさしおと急行丹後が電車特急に統合された1年後の時刻表です。統合後ははしだて、まいづる、きのさき、たんばというふうに行先に応じた名称がつけられましたが、ポケット時刻表上で名称の区別はありませんでした。
びわこライナーがびわこエクスプレスに改称する前年のダイヤ改正のポケット時刻表です。翌6月から名前を変えて運転開始したびわこエクスプレスは特急列車なので「乗車整理券」ではなく「特急券」が必要であるとポケット時刻表上でも記載が変わりました。
京都駅を発着するすべての特急列車がポケット時刻表上に登場するようになっている年のポケット時刻表です。くろしおとスーパーはくとが同じ体裁という点に若干の違和感を覚えつつ、東海道本線の欄に記載があります。少数ながらJR東海車の乗り入れであった特急しなのと特急ひだも記載があります。
この年からすべての面で平日と土休日を分離して表示するようになり、関西空港・和歌山方面で1面を割くようになりました。新大阪から大阪環状線方面へ直通する特急がまとめられたのでくろしおも1日2本記載があるが、もはや特急はるか専用ページ。京都駅ポケット時刻表史上初めてはるか欄が晴れて独立。
さて、いかがでしょうか。表紙デザインの視点、特急列車の視点からJR京都駅ポケット時刻表を振り返ってみました。当時利用されていた方、模型・ジオラマ等で再現されたい方、懐かしんで見ていただければ幸いです。ご覧いただきありがとうございました。